
陰陽師で有名な安倍晴明の母親について調べてみました。
ということで今回は、
- 安倍晴明とは、どんな人物とはどんな人物だったんでしょう。
- 母の正体は狐?名前は葛の葉どのようにして晴明がうまれるきっかけが?
- 葛の葉伝説とは、どんな伝説が伝わっているのか?
など紹介します
安倍晴明について簡単に紹介
安倍晴明 921年2月21日~1005年10月31日。平安時代の陰陽師です。陰陽師とは陰陽道に携わるもののことをいいます。
陰陽道とは、古代の中国で生まれた自然哲学思想、陰陽五行説が起源となっていて、日本で独自に発展を遂げた呪術や占術の技術のことをいいます。
当時、陰陽師は国家公務員で、平安時代初期までは陰陽道は陰陽寮が独占する国家機密として管理されていました。
晴明は、40歳で天文得業生と天文学を学ぶ学生の職についていて出世は遅れていましたが占いの才能は早くから貴族社会で認められていました。
朱雀天皇から村上、冷泉、円融、花山、一条の6代天皇の側近として仕えています。
また、幼少の頃から優秀で、特に天文暦学は深く極め、神道を思いのままに操る霊術をも身につけられていたらしいと言われています。
映画やドラマでは式神を操って、憑き物の退治とかしてるイメージですが、国家公務員として認められた仕事だったんですね。
今では、呪術や占術は信じる人は信じるけど、信じない人は信じないですからね。
占いは良いことだけ信じることにしています。
病気もその昔は憑き物のせいで祈祷でお祓いしたりしてましたからね。
平安時代で80歳超えの長生きをしている安倍晴明って凄いですね。やはり人と違う何かがあったんですかね。
病を得た師の身代わりになろうとした僧侶と、それを助けた不動明王の物語。僧侶の元へやってきた病魔に #安倍晴明 が身代わりの祈祷をおこないます。病を表す #もののけ たちは、なんとも神妙に聞き入っています!#MuseumFromHome #おうちミュージアム
泣不動縁起 15世紀https://t.co/CMtzobWgIu pic.twitter.com/D0kfBKZRCD
— 奈良国立博物館 Nara National Museum, Japan (@narahaku_PR) April 30, 2020
母の名前は葛の葉

父の名は、保名。 母の名を葛の葉と伝説では伝わっています。
父の名は保名母の名葛の葉をというのは安倍晴明が亡くなったずっと後に、
安倍晴明の有能さを称えるための創作で書かれたと思われるため、娯楽性の高い書物に登場しています。
陰陽師という仕事柄意図的に出自を隠していたらしく、安倍晴明の母と父の出生の場所などはまだ特定できていません。
父親も安倍益材(ますき)、安倍春材(はるき)二人は親子で晴明の父親はどちらかとされていて母親はわかっていません。
実際の母親はどの様な人物かわっかっていないんですね。
安倍晴明の凄さを伝えるために後世の人物が創作し想像で書いたとおもわれます。
次に紹介する葛の葉伝説、母親は狐とされています。
当時、狐は神に仕えていたと言われているので晴明の力は狐から受け継いだと話を書く上で面白くなるよう創作されたのではないのでしょうか。
葛の葉伝説

葛の葉伝説とはどんな話?
今から、千年以上もの昔、摂津国阿倍野に(現在の大阪府大阪氏阿倍野区)安倍保名という人物が住んでいました。
ある日、信仰する和泉国和泉群に(現在の大阪府和泉市)信太の森にある信太明神(しのだみょうじん)にお参りに出かけました。
その帰り道、狩りで追われている白狐が逃げているのを、保名はかくまい助けてあげました。
しかし、その際ケガをしてしまったのです。
そこへ葛の葉と名乗る一人の女の人があらわれました。
葛の葉はケガをした保名を介抱して家まで送り届けてました。
見舞いに訪れる葛の葉と保名はいつしか恋心が芽生えやがて、二人の間に男の子が生まれました。
男の子は童子丸(後の晴明)となずけられ、すくすくと成長していきました。
しかし、童子丸が5歳の時、葛の葉の正体が保名に助けられた白狐であることがばれてしまったのです。
全ては稲荷大明神様のいいつけである事を告白しました。
そして、次の一首を残し、葛の葉は信太の森へと帰って行きました。
恋しくば尋ね来て見よ 和泉なる信太の森のうらみ葛の葉
「うらみ」とは「裏見」、三枚のうち二枚が裏側を見せている葛の葉のことで、それを目印に会いに来てね、という意味です
保名は葛の葉の書き置きをみて、恩返しのために人間世界に来たことを知りました。
そして、童子丸とともに信太の森に向かいました。二人の間に姿をあらわした葛の葉は、水晶の玉と黄金の箱を渡し別れました。
この水晶の玉と黄金の箱は、葛の葉が童子丸に授ける様に稲荷大明神か預かっていたものでした。
数年後、童子丸は晴明と改名します。
天文道を修め、母親の遺宝の力で天皇の病気を治し、陰陽頭になります。しかし、晴明のライバル蘆屋道満(あしやどうまん)によりに讒奏されされ、占いの力くらべをすることになったのです。
晴明は道満に勝ち、道満によって殺された父の保名を生き返らせました。そして、本当のことを朝廷に訴え、その結果道満は首をはねられることに。
晴明は
※讒奏(ざんそう)とは、天皇などに相手を陥れるため事実よりひどくもうしあげること |
※天文博士(てんもんはかせ)律令制の陰陽寮に設置された教官で天文道のことを担当する。正七位下相当。定員は1名 |
伝説も諸説ありますが、鶴の恩返しににているなって思いました。
晴明の力の秘密、強さは母親から受け継いだものだったんですね。
鶴の恩返しにしろ今回の話にしろなぜ、本当の姿がばれるんでしょう。創作話としては人気がでるのかな。
まとめ
今回は安倍晴明の母親葛の葉伝説について紹介しましたがいかがでしたか?
言い伝えや伝説調べると知らないこと、物語が多くてその地域では有名な話とかも調べて書いていこうと思ったしだいです。
次回は葛の葉伝説の稲荷大明神について書けたらと思ってます。
実際の安倍晴明の両親には詳しくわからないですが歴史上では実在していたのは確かですから。
晴明に関しての語りつがれてる話や晴明神社に関してはまたのきかいに。