
今回は、映画やドラマの題材にもなる安倍晴明について紹介するね
伝説・逸話がたくさんある安倍晴明。
今回は、
- 伝説と逸話は何がある?
- 一条戻橋と式神の関係は何があるの?
- ちなみに式神の名前や役割は?
などまとめて見たよ。
安倍晴明の式神・役割と名前を調査

ウィキペディア(Wikipedia)
安倍晴明は平安時代に活躍していた陰陽師です。陰陽師は今でいうところの国家公務員にあたります。
晴明は陰陽師としてはかなり遅咲きでした。
そんな晴明に使えていた式神の役割や名前は?
役割
陰陽師に呼び出されて、召使いとして、呪術に使われたりしていました。
2種類の式神がいたとされています。
「形代(かたしろ)」とよばれるもので、人の形や動物の形などに精を宿らせたものをいいます。
また、人型の場合には呪いをかけたり、まれに身代わりにしたりそんな役割をしていました。
二つ目の式神は、陰陽師が占いで使用する式盤の守護神
式盤には
十干、十二支、十二神将、4つの門、二十八宿など星神を示すシンボルが刻まれていました。
晴明が連れていた式神は式盤の守護神・十二神将が有名です。
式神の名前
- 騰虵(とうだ) 炎に包まれ羽の生えた蛇の姿
- 朱雀(すざく) 四神、南の守護神
- 六合(りくごう) 平和や調和を司る
- 勾陳 (こうちん) 金色の蛇の姿、京の中心の守護を担っている
- 青龍(せいりゅう) 四神、東の守護神
- 貴人(きじん) 十二天将の主神で天乙貴人
- 天后(てんこう) 航海の安全を司る女神
- 大陰(だいおん) 智恵長けた老婆
- 玄武(げんぶ) 四神、北の守護神
- 太常(たじょう) 四時の善神とも呼ばれ、天帝に仕える文官
- 白虎(びゃっこ) 四神、西の守護神
- 天空(てんくう) 霧や黄砂を呼ぶとされる
最先端の学問(呪術・科学)であった「天文道」や占いなど、卓越した知識を持った陰陽師・安倍晴明、この時代は占い呪術が学問の一種やったんですね。
占いとかで政治の事を決めていたんですかね…。今では薬で治る病気も昔は不治の病、医学も発達してないから祈祷師などに祈祷してもらったりとか昔話で聞く事があります。
一条戻橋について
794年の平安京造営に際し、「一条大路」に堀川を渡る橋として架橋されました。
延喜18年(918)、文章博士三善清行の息子・浄蔵が熊野で修行中でしたが父の死を聞いて急ぎ帰ってきた時、この橋で父の葬儀に出会いました。
浄蔵は嘆き悲しみ、棺にすがって神仏に祈ると雷鳴とともに清行が一時生き返り、父子が抱き合ったとい言います。そこから戻橋と呼ばれるようになったと伝わる。
また、渡辺綱が夜中に戻橋のたもとを通りかかると、美しい女性が立っていました。 夜も更けて怖いので家まで送ってほしいと頼んできたので、渡辺綱は「こんな夜中に女性が一人でいるのは怪しい」と思いながらも、それを引き受け馬に乗せたのです。
すると女はたちまち鬼の姿に変わり、綱の髪をつかんで愛宕山の方向へ飛んで行きましたが、綱は鬼の腕を太刀で切り落として逃げることができました。
この橋の西側には安倍晴明の邸がありました。
晴明が、屋敷に住んでいた頃、式神に雑用をさせていましたが、晴明の奥さんがその姿を怖がったため、式神を一条戻橋の下橋の下に住まわせ、必要なときに召喚していたのです。
そして、ここは後世、豊臣秀吉が自分に逆らった千利休の首を晒した、いわく付きの場所でもある。
現在でも一条戻橋は、縁談のある人は避ける習わしがあります。
逆に旅人は橋を渡ると必ず戻って来られると、橋を渡って行く人も。なぜか東から西へ、渡らなければいけないらしい…。
怖いからって橋の下に住まわせられていた式神達、一応神様やのになんか可愛そうですね。アニメとかでは、かわいい絵とかイケメンに描かれたりしてたから、普通に人間の姿と思ってたら違うんやとおもいました。
式神の画像探してみましたけどアニメやゲームの絵ばかり出てきたので、安倍晴明や式神達も現在でも人気があるんやなと新ためておもいました。
安倍晴明の伝説・逸話
同業者の式神を見抜く
ある日の事、播磨の国から一人の老僧が二人の童子をお供に晴明を訪ねてきました。
老僧は晴明に「陰陽道を習いたい」と言いいました。
しかし、晴明は、この老僧は自分の力を試すために来たことや、お供の二人の童子が式神であることを見抜きました。
そして、術で老僧の式神を隠してしまいました。
老僧は共の式神がいないことに気付いき、晴明を試そうとしたことを謝罪しました。
式神を使うことは簡単なことですが、それを隠す事は難しく晴明の力を思い知らされた老僧は晴明の弟子になりました。
人の使役する式神を隠す―これは、晴明が並の陰陽師ではないことを物語っていますね。
土中に埋められた呪いに気づく
藤原道長が法成寺を建立している最中、毎日白い犬をつれて見にでかけていました。
ある日のこと、いつものように犬を連れて見にでかけます。が、内に入れさせんばかりに、犬が道長の前をさえぎるようにして走り回りまわるのです。「なにかわけがあるのだろう。」と、不審に思った道長は晴明に使いの者だしました。
ただちに晴明がやってきて、「なにかあるのか?」と道長は晴明に聞きました。
晴明はしばらくの間占い、「道長様を、呪うものが道の中に埋められています。もし踏み越えていらしていたら大変なことになっておりました。」そして犬は神通力を持っているので知らせたのでしょうと道長にいいました。
「それを見付けだせ」という道長の言葉に、晴明はまたしばらく占いはじめまし。そして、道の1ヵ所を指摘し、
掘ってみると、土器を二つ合わせて、黄色いこよりで十文字に縛ってあるものが出てきました。
中にはなにもなく、一文字を書いてあるだけでした。
「この術は私以外に知る者はおりません。いるとすれば道摩法師。問いただしてみましょう。」
晴明は懐より紙を取出し、鳥の形に結んで呪文をかけて空に投げました。すると、それは白鷺となって南へ飛んで行きました。
紙が落ちた家には老いた法師(道摩)がいました。
呪咀したわけを聞くと、「堀川左大臣藤原顕光公の要請で術を仕掛けました。」と白状しました。
道長は、道摩に罪はない許しました、
術を相手に返す
またある日のこと、蔵人の少将がはなやかに行列をつくって内裏に向かっておられました。
そのとき、烏が少将に糞をかけたのです。
その瞬間晴明は、その烏が式神あることで、少将の命が今夜限りであることを見ぬきました。少将は、陰陽師に呪いをかけられたのです。
実は同じ邸に住む妻の姉妹の夫が、舅が少将ばかりを大事にするので嫉妬して、陰陽師に頼んで式神を使い少将を亡き者にしようとしたのです。晴明は一晩中呪文と祈祷で守護しました。
その結果、呪った陰陽師のもとに式神が逆に帰っていき、戻ってきた式神にその陰陽師は打たれて死んでしまいました。
前世を見抜く
花山院が天皇の位についていた時、頭痛を病んでいました。
特に雨の時季にはどうしてよいか分からぬほどに苦しんでおられました。治療も全く効果がなかったのです。
そして、晴明は
「花山天皇は前世では尊い行者で、大峰の某宿で入滅されましたが、前世の行徳により天子の身と生まれてまいりました。しかし、前世のドクロが岩のはざまに挟まれたままになっており、雨のさいに岩がふくらみ間に挟まっているがゆえに、今生でこのように痛むのです。首を取り出されて、広い場所に置いたならば必ず治癒いたします。」
と言い、ドクロのある場所も指摘しました。さっそく花山天皇は人を遣わして調べさせたところ、
晴明の言った通りどくろが有り、言われた通りすると以後頭の痛むことはなくなったといいます。
まとめ
今回は、安倍晴明の式神や、伝説などを紹介しました。たくさんある逸話の中から少しだけせすが…。
晴明の陰陽師としての凄さが分かる話ばかりで、実際の話なのか造られた話なのかは分からないですが、それだけ当時の人からしても凄い能力だったんですね。
晴明は80歳をこえてから亡くなっています平安時代で80年も長生きしたなんて凄いですし亡くなってすぐにこれらの伝説や逸話が語れるって事はやはり本物だったんでしょうね。