
新元号令和にきまりましたね。
出典は万葉集。
日本最古の和歌集です。
大化以降248番目の元号です。
令和の意味や由来を調査しました。
新元号 令和に決定 史上初めて日本の書物から
令の文字を使われるの初。
令和は万葉集の三十二首「梅花の歌」序
初春令月、氣淑風和、梅披鏡前之粉、蘭薫珮後之香。
初春の令月(れいげつ)にして、気淑(よ)く風和ぎ、梅は鏡前の粉を披(ひら)き、蘭は珮後(はいご)の香を薫す。
から引用しています。
万葉集の三十二首「梅花の歌」の序
標訓 梅花の歌三十二首、并せて序
天平二年正月十三日、萃于帥老之宅、申宴會也。
于時、初春令月、氣淑風和、梅披鏡前之粉、蘭薫珮後之香。加以、曙嶺移雲、松掛羅而傾盖、夕岫結霧、鳥封穀而迷林。庭舞新蝶、空歸故鴈。於是盖天坐地、促膝飛觴。忘言一室之裏、開衿煙霞之外。淡然自放、快然自足。若非翰苑、何以濾情。詩紀落梅之篇。古今夫何異矣。宜賦園梅聊成短詠。
書き下し文
天平二年正月十三日に、師(そち)の老(おきな)の宅(いへ)に萃(あつ)まりて、宴会を申(ひら)く。
時に、初春(しょしゅん)の令月(れいげつ)にして、気淑(よ)く風和(やはら)ぎ、梅は鏡前(きやうぜん)の粉(こ)を披(ひら)き、蘭(らん)は珮後(はいご)の香(かう)を薫(かをら)す。
加之(しかのみにあらず)、曙(あけぼの)の嶺に雲移り、松は羅(うすもの)を掛けて蓋(きぬがさ)を傾け、夕の岫(くき)に霧結び、鳥はうすものに封(こ)めらえて林に迷(まと)ふ。
庭には新蝶(しんてふ)舞ひ、空には故雁(こがん)帰る。ここに天を蓋(きぬがさ)とし、地を座(しきゐ)とし、膝を促(ちかづ)け觴(かづき)を飛ばす。
言(こと)を一室の裏(うら)に忘れ、衿(えり)を煙霞の外に開く。
淡然(たんぜん)と自(みづか)ら放(ひしきまま)にし、快然と自(みづか)ら足る。若し翰苑(かんゑん)にあらずは、何を以(も)ちてか情(こころ)を述(の)べむ。
詩に落梅の篇を紀(しる)す。古(いにしへ)と今(いま)とそれ何そ異(こと)ならむ。
宜(よろ)しく園の梅を賦(ふ)して聊(いささ)かに短詠を成すべし。
訳文
「天平二年正月十三日、帥の老の邸宅に集まって、宴会をくりひろげた。
折しも、初春の佳き月で、気は清く澄みわたり風はやわらかにそよいでいる。
梅は佳人の鏡前の白粉(おしろい)のように咲いているし、蘭は貴人の飾り袋の香のように匂っている。
そればかりか、明方の峰には雲が往き来して、松は雲の薄絹をまとって蓋(きぬがさ)をさしかけたようであり、夕方の山洞には霧が湧き起こり、鳥は霧の帳に閉じ込められながら林に飛び交うている。
庭には春生まれた蝶がひらひら舞い、空には秋来た雁が帰って行く。
そこで一同、天を屋根とし地を座席とし、膝を近づけて盃をめぐらせる。
一座の者みな恍惚として言を忘れ、雲霞の彼方に向かって胸襟を開く。
心は淡々としてただ自在、思いは快然としてただ満ち足りている。
ああ、文筆によるのでなければ、どうしてこの心を述べ尽くすことができよう。
漢詩にも落梅の作がある。
昔も今も何の違いがあろうぞ。
さあ、この園梅を題として、しばし倭の歌を詠むがよい」
令和に込められた意味
人々が美しく心を寄せ合う中で文化が生まれ育つという意味が込められている。
万葉集は幅広い階層の人々のことをよんでおり、日本の国柄をしっかりと次の時代へと引き継いでいく。
厳しい寒さの後に春の訪れをつげ、咲き誇る梅のように人々がそれぞれの花を咲かせることができるということを込めて「令和」にしました。
希望に満ち溢れた国民のみなさまとともに切り開いていきたい。
万葉集
日本でおける最古の歌集。4500首以上も集めたもの
天皇、貴族だけではなく防人など身分関係なく歌がのせらています。
万葉集の三十二首「梅花の歌」序
歴史上作者不明で、この和歌を書いたのは大伴旅人とも山上憶良ともいわれています。
この歌が発想された時期は判明しています。
天平2年(730年)正月13日に大宰府の長官ともいえる大宰帥の大伴旅人の家に集まり、梅を楽しんだ際に生まれたとされている。
選定に参加した方々
「元号に関する懇談会」
参加した有識者は山中伸弥、林真理子、宮崎緑、寺田逸郎、榊原定征、鎌田薫、白石興二郎、上田良一、大久保好男
まとめ
令和に発表されましたね。昭和の和の字と被るとは予想外ですが、
人々が美しく心を寄せ合う中で文化が生まれ育つという意味が込められているように
いい時代になって欲しいな。