今回は紹介するのは、清水寺!
清水寺といえば、京都の観光名所の一つで、毎年多くの人が訪れる京都の観光名所です。

清水寺
清水寺にはどんな歴史が
あったのでしょうか?
今回は
- 清水寺の歴史は?
- 清水寺の豆知識
- 清水寺の見どころは?
清水寺の始まり
それは、
とある、僧侶の
夢のお告げから、はじまったのです…
清水寺のはじまり
清水寺の創建については、『今昔物語』や、『扶桑略記』などさまざまな史料に載せられたいます。
時はさかのぼって、奈良時代
宝亀9年(778年)大和国(奈良県)の興福寺の僧侶 延鎮上人(えんちんしょうにん)のちの賢心(けんしん)が、
夢でお告げを受けたのです。
「木津川の北流に清泉を求めて行け」
お告げのとおり現在清水寺がある音羽山にむかいました。
その場所に行くと、金色の川が流れていてそれを辿って行くと、
千手観音を念じながら滝行を行っている修行僧の行叡と出会ったのです。
その修行僧、行叡から「この地を守るようにと」延鎮上人に告げるました。そして修行僧は消えてしまったのです。

音羽の滝
この時出会った滝が、音羽の滝と言われています。
延鎮上人は行叡が観音の化身であったと悟り、
行叡が残していった霊木に千手観音像を刻んでこの地にまつり
滝の近くに小屋を建てたのがが清水寺の始まりと言われています。
夢のお告げで、すごい人生がかわったんですね。
よく昔話で、夢のお告げが出てきますが本当あるのかな?
坂上田村麻呂との出会い
延鎮上人が住み始めて2年が過ぎたある日。
妻の安産のために鹿狩りにきていた坂上田村麻呂と音羽の滝で出会います。
(当時鹿のお肉は貴重なたんぱく源だったので、重宝されていました。)
「安産のために殺生をするとは・・・」と、延鎮上人に坂上田村麻呂は殺生の罪を戒められ、
観音菩薩の教えを諭されました。延鎮上人の話に感銘を受けた、
坂上田村麻呂は妻と共に滝の近くに自らの邸宅を仏殿として寄進したのです。
そして798年、坂上田村麻呂は、延鎮上人と協力して本堂を大規模に改築し
本尊・十一面先手観音像と地蔵菩薩・毘沙門天を安置したとも言われています。
苦難の時代
810年に公認の寺院となった清水寺は、その後長い間、興福寺の支配下に置かれることとなります。
847年に葛井親王が三重塔を創建。
しかし清水寺は1063年の火災以降、放火や、
興福寺と延暦寺の争いに巻き込まれ永万元1165年(永万元)延暦寺の僧兵によって焼失したりと
1629年の間に9回もの焼失を繰り返しています。
財政難により1633年、清水寺は当時の将軍 徳川家光の寄進によって再建されました。
清水寺に現存する建物の多くは、このときに再建されたものなのです。
清水の舞台から飛び降りる事件が多発
清水寺と言えば「清水の舞台から飛び降りる」ということわざが有名です。
しかし、これは単なることわざではなく、実際に清水の舞台から飛び降りるという事件が本当に発生していたのです。
1694年から1864年の間に234件もの飛び降りが起こっています。
清水寺には高い崖に張り出して作られた舞台があり、その崖から飛び降りると所願成就のときに怪我をせずに済み、
もし死んだとしても成仏できるといわれていたので、身を投げる者が絶えなかったのです。
そのため、1872年に政府が飛び降り禁止令を出して、柵を張るなどの対策を施しました。
清水の舞台から飛び降りても生存率は高かったそうですよ。
でも、大怪我しそうですね。
豆知識
豆知識を紹介。
-
- 清水寺の舞台は釘を一本も使われていない。
- 狛犬さんの口は、阿吽ではなく二体とも阿で口を開いています。
音羽の滝の3つそれぞれ流れる水ごとに叶う願いが違っています。
- 向かって(左)「学業成就」
- 向かって(中央)「恋愛成就(縁結び)」
- 向かって(右)「延命長寿」
おはようございます。1月19日です。
今日は「のど自慢の日・カラオケの日」。
私にはあまり関係のない記念日ですが、いずれ「御詠歌」を覚えなければならないことを思い出しました。
親の実家にはお盆に御詠歌をあげる風習が残っています。写真は西国三十三所、京都・清水寺の音羽の滝です。#歌 pic.twitter.com/5FVHWd9sjs
— ネコ3世 (@YXzwBTwFkexfZOu) January 18, 2022
観光情報

出典 https://清水寺-御朱印.jinja-tera-gosyuin-meguri.com/
所在地: 〒605-0862 京都府京都市東山区清水1丁目294
三重の塔
三重の塔は清水寺境内の西門のすぐ東に位置する所にあります。847年に創建され、現在の塔は1987年に解体修理されたものです。清水寺のシンボル的存在の塔で国の重要文化財に指定されています。
子安塔
現在は清水寺境内南東部の丘の上に建てられている子安塔ですが、もともとは清水寺仁王門脇に建てられていたと云われています。安産祈願の塔で、内部には千手観音が安置されています。
まとめ
1200年以上前から歴史があり、幾度となく困難にあっていた清水寺。
今現在の清水寺でも400年も前に建てられたものなんですね、それでも歴史の長さを感じずにはいれませんね。